今年も南房総鴨川の旅館・ホテルへご宿泊頂けます皆様に、お一人様10本まで菜の花を摘むことのできる「菜の花摘み券」をプレゼント!(3月20日まで)
房総の春の訪れを逸早く告げてくれる千葉県の県花「菜の花」。ここ南房総ではすでに至る所で菜の花が咲き誇り、春の麗らかな日和を黄色く元気に演出してくれています。これからの南房総はこの菜の花を始めたくさんの色鮮やか花々が咲き乱れ、南房総にお越し頂けます皆様を元気いっぱいに楽しませてくれます。一年の中でもたくさんの花々と出会うことのできる春の南房総。ぜひ皆様お越し下さいませ。
アブラナ(菜の花、菜花、菜種、花菜、学名(和種):Brassica campestris L.)
被子植物門・双子葉植物綱・離弁花亜綱・アブラナ科・アブラナ属の冬型一年草(越年草)の顕花植物。原種は、西アジアから北ヨーロッパの野生種と推測され、4枚の花弁が十字型をし(科名のCruciferaeは十字架に由来する。昔は十字花科、十字科植物とも呼ばれる)、花の後に細長い莢状の実をつけ(中に1ミリ位の無数の種がある)、草丈は放置しておけば1m以上にもなる。また、交雑して雑種が生まれ易く、同種だけでなく他種の花粉によって結実してしまい、学術的な分類の困難な品種も多い。このアブラナは中国の漢代から栽培作物となり、花、葉や茎を食用とし、種子は菜種油(食用油、灯火、潤滑油など)、菜種油粕は良い肥料として利用され、古くから東アジアで栽培される。日本では弥生時代以降に利用されたとみられている。
3月10日の誕生花。花言葉は「快活、快活な愛、豊かさ、財産、小さな幸せ」。
今年も鋸南町で「水仙まつり」が開催されております。(1月31日まで)
水仙の日本三大群生地(越前・淡路・鋸南町)として知られる鋸南町では、江月水仙ロード・谷沢水仙郷・をくづれ水仙郷&佐久間ダムからなる群生地で、推定数千万球からなる見事な水仙を毎年観ることができます。この鋸南町の水仙は西暦1854年安政年間の時代より、「元名水仙(もとなすいせん)」として船で江戸へと運ばれ、ここ房州の花づくりの始まりになった花ともいわれています。道路脇には直売店も点在し、毎年1000万本近い水仙が市場へと出荷され皆様を楽しませています。壮大な水仙の群生地で、水仙の香りに包まれてみてはいかがでしょうか。
詳細はこちらから⇒ 鋸南町観光協会
建築様式の装飾として彫刻を欄間に飾ることが流行していた江戸時代に、「関東に行ったら波を掘るな」とまで言わしめた人物がいた。それが初代伊八、武志伊八郎信由である。
波の伊八
1752年、彫物大工・武志伊八郎信由は安房国長狭郡打墨(あわのくにながさごおりうっつみ)村(現在の鴨川市)で、代々名主を務めた武志家の5代目として生まれたといわれている。10歳の時から彫刻を始め、躍動感と立体感溢れる横波を初めて彫り以来作風を確立し、文政7年に没するまで意欲的に作品を造り続けた。その後武志家は代々伊八を名乗り、五代、昭和29年まで彫工という家業を在続させ、その中でも初代伊八は73年の生涯に、安房を中心に上総、江戸へと五十を越える彫物を遺している。その作品は江戸中央の様式にとらわれることなく、自由でダイナミック、ユーモアのセンスもあり、江戸期・長狭郡の「鴨川人」の気質、美意識をよく反映している。中でも波の表現は抜群で、「関東に行ったら波を彫るな」と言わしめたほどであり、同世代に活躍した葛飾北斎の「富嶽三六景」の代表作の1つ、「神奈川沖浪裏」などの画風にも強く影響を与えたといわれている。
現在1月30日まで、長年にわたる伊八研究によって新たに発見された貴重な作品などを鴨川市郷土資料館で展示しています。展示作品の多くが初公開なので、ぜひこの機会に伊八の心意気を間近で感じて下さい。
こちらから⇒「鴨川郷土資料館」
謹賀新年
旧年中はひとかたならぬご愛顧にあずかり、誠にありがとうございました。
本年も一層のサービス向上を目指し、社員一同誠心誠意努める覚悟でございます。
なにとぞ本年も倍旧のご支援のほどお願い申し上げます。
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。