建築様式の装飾として彫刻を欄間に飾ることが流行していた江戸時代に、「関東に行ったら波を掘るな」とまで言わしめた人物がいた。それが初代伊八、武志伊八郎信由である。
波の伊八
1752年、彫物大工・武志伊八郎信由は安房国長狭郡打墨(あわのくにながさごおりうっつみ)村(現在の鴨川市)で、代々名主を務めた武志家の5代目として生まれたといわれている。10歳の時から彫刻を始め、躍動感と立体感溢れる横波を初めて彫り以来作風を確立し、文政7年に没するまで意欲的に作品を造り続けた。その後武志家は代々伊八を名乗り、五代、昭和29年まで彫工という家業を在続させ、その中でも初代伊八は73年の生涯に、安房を中心に上総、江戸へと五十を越える彫物を遺している。その作品は江戸中央の様式にとらわれることなく、自由でダイナミック、ユーモアのセンスもあり、江戸期・長狭郡の「鴨川人」の気質、美意識をよく反映している。中でも波の表現は抜群で、「関東に行ったら波を彫るな」と言わしめたほどであり、同世代に活躍した葛飾北斎の「富嶽三六景」の代表作の1つ、「神奈川沖浪裏」などの画風にも強く影響を与えたといわれている。
現在1月30日まで、長年にわたる伊八研究によって新たに発見された貴重な作品などを鴨川市郷土資料館で展示しています。展示作品の多くが初公開なので、ぜひこの機会に伊八の心意気を間近で感じて下さい。
こちらから⇒「鴨川郷土資料館」